集中欲求と鬱散欲求

人間の欲求にはいろいろあるが、エネルギーの平衡を保とうと

するが故の欲求として、集中欲求と鬱散欲求がある。

すなわちエネルギーが内側に溜まれば

それを外側に発散させるための行動欲求が生じ、

逆にエネルギーが不足すればそれを補うための行動欲求が生じる。

これらは肉体的、生理的欲求であるので、

そこから生じた欲求がどんなものであっても

「あまり良いことじゃない」とか、「恥ずかしい」とか、「みっともない」

とか、頭考えてどうにかしようとしても、どうしようも無いということがある。

 

 

子供なら特に、これらの行動欲求を理性でコントロールするのは困難だ。

子供が乱暴に振舞ったり、何かを壊したり、誰かに意地悪をしたり、

あるいはいつまでもぐずぐずと泣いてみたり、わがままを言ってみたり

大人が眉をひそめるようなことをわざと言ったりしたりする時は

大声で叱ったり、あれこれ考えて長々と説教する前にまず

子供がそのような行動をとる背景に、どのような欲求があるのか

ということを考えて、その欲求を満たさないことには根本的には解決しない。

 

 

言葉でいうほど簡単なことではないが、しかし

その欲求を満たさずして、𠮟ることで矯正しようとしても

おそらくあまり上手くいかない。

叱る方も叱られる方も、ストレスを溜めて互いに疲れるだけである。

仮に、厳しく叱ることで子供が恐怖を感じて大人の思い通りになったとしても

欲求を抑圧されたことで子供の感受性に歪みが生じる可能性がある。

そのまま成長してもどこかで不具合が出てくる。

 

 

大人でも同じことで、「正しくあろう」「立派であろう」とか

「こうあるべきである」とか頭で考えて、自分を律しようと

必死になってもどうにもならない時、

自分の内側にどのような満たされていない欲求があるのかをつぶさに感じて

それを満たす方がずっと早いということがある。

大人なら、他人に迷惑をかけたり不快感を与えたりすることのないように

工夫して、自分の力で自分の欲求を満たすことは可能だ。

あるいは、自分以外の人の力を借りる必要があるなら、

丁重にお願いをして、相手の同意を得て助けてもらうことだって出来る。

 

 

大切なのは、まず自分の中にある欲求を丁寧に感じるということ。

そしてどのような欲求を感じたとしても、その内容によって

「いい年をして恥ずかしい」とか「くだらない」とか「情けない」などと

自分を責めたり、恥じたり、叩きのめしたりせずに、

社会的に問題の無い形で、出来る限りその欲求が満たされるように

してあげることだ。