この素晴らしき世界

 

BSE(いわゆる狂牛病)が、国内で初めて発生した時のことを

皆さんは覚えておられるだろうか。

2001年9月のことである。

その直後に発生した米国同時多発テロという大事件によってだいぶかき消されたが、

それでも我が国の畜産業界にとっては、震度8くらいの大激震であった。

 

当時私は、地方自治体の県庁にある、家畜伝染病防疫の現場を統括する部署で

獣医師として勤務していた。

就職して数年は、畜産現場を走り回って牛や豚や鶏と戯れて(?)いたのだが

その年の春に突然異動を命ぜられ、公務員らしい事務仕事をすることになったのだ。

 

それまでは、いくら汚れても気にならない作業着を着て、

昼時になると定食屋で胡坐をかいてどんぶり飯をかきこむような生活をしていたので

毎日きちんとした洋服を着て、それなりに身なりを整えなくてはいけないことも、

一日中机の前にかじりついて、慣れないかつ苦手な事務仕事をすることも

当時の私にとっては相当なストレスであった。

まだ20代だったが、目の周りが落ちくぼみ、一気に白髪が増えた。

激震が起こったのは、そんな生活が始まって約半年が過ぎた頃のことである。

 

最近では、鳥インフルエンザなど、人にも感染する可能性のある危険な伝染病が

時々発生してニュースになっているが、2001年以前は一般のニュースに

取り上げられるようなヤバイ家畜伝染病は、国内では数十年も発生しておらず

今思えば、畜産業界はいわゆる「平和ボケ」状態であった。

だから、マスメディアに大々的に取り上げられ、消費者に恐れられ

牛を原料とした畜産物が売れなくなるという事態を前にして

畜産業界は文字どおりパニックに陥った。

全国で肉牛の生産農家が倒産したり

売れなくなった牛肉が腹いせに道路に捨てられたり

検査を担当した若い女性獣医師が自殺するという悲しいニュースが

連日報じられた。

 

毎日怒号が飛び交う中で、怒りや不安やイライラのこもった

電話の応対に明け暮れつつ、山ほどの大嫌いな事務仕事を片付け

日付が変わるころ、へとへとになって家に辿り着き、テレビをつけると

アメリカで人々が泣き叫び、悲しみや憎しみが画面からあふれている

実際に経済的被害を被っている畜産農家や関連業者の人たちに比べれば

私の置かれた状況など苦労と呼べるほどのものでもなかったが

それでも当時の私にとっては、それなりにキビシイ体験であった。

 

そんな状況が続くうちに、やがてもう何もかもどうでもいいや、と思うようになった。

「何も感じないようにする」。

心や身体の感覚を麻痺させる、ということが、

その時私が思いつく、最も簡単な、唯一の逃げ道であった。

(それが表に出てしまい、電話の応対がロボットのようになっていたらしく

取材の電話をかけてきた新聞記者にキレられ、その時はいたく反省したのだけど()。)

 

そんな日々が3か月ほど続いたある日、いつものように夜遅く

疲労困憊で、帰宅するために車に乗り込んだ。

県庁のビルの窓にはまだ煌々と灯りがともっている。

私もあと数時間後にはまたここに来なくちゃいけない。

ああー、疲れた。本当に疲れた。

 

ぼーっとした頭で車を走らせていると、

突然頭の中に、ルイ・アームストロングの歌う、

かの名曲「What A Wonderful World」が流れてきた。

なんだかよくわからないままぼんやりと聞き入っていたら

これまたずいぶん唐突に

「ああ、この人は、人間の醜さも、世の中の理不尽も、お腹いっぱい見たうえで

『世界は素晴らしい』って歌うんだ」と思った。

 

自分でそう「思った」わりには、その時は意味がよく分からなかった。

だけどそれ以来私はジャズを聴くようになって、しばらくは

ルイアームストロングと同時代を生きた伝説の演奏家たちの奏でる音楽を聴きながら

「大人になるってこういうことかもしれない」などと悦に入っていたものである。

世間的にはもうとっくに「大人」ではあったのだけど

その時私は、大人の階段をほんの一段、上がったような気がしていたのだ。

 

そういえば、昔、仕事の途中によく立ち寄った定食屋の壁に

こんな川柳を書いた色紙が飾ってあったな。

「向かい風 にっちもいかず サッチモを聴く」

 

(「サッチモ」はルイ・アームストロングの愛称です。)